手の内@東京武道館

先日東京武道館で行われた甲野先生の講習会。

■『鶴翔の手の内』からの展開『伏流水』。
先生の説明ではわきの下から手の先の方に向かって流れる感じを損なわないように動くというが、見た目にはわからない。
『正面の斬り(一教?)』で受けた感触は『多方向同時進行』が複雑な立体になり、『風見鶏の原理』とあわさった感じ。
しかも多方向には(私の感覚との)わずかな時間的ずらしが入っているようだった。
まあ、要するによくわからない(笑)

甲野先生が途中の説明で「1の次に2が来ると思っている人は1.5に対応できない。」と言われていたので、ずらしが入っているという感覚はあながち的外れではないか。

興味深かったのは、四国の講習会で勧められて試したところ効果が大きかったというグッズ。
グッズといってもただのスポンジで出来たボールのようなものだが、
これを手の内に仕込むと身体の遊びが取れるというのだ。
この日はスポンジ3つだったが、四国では両手にスポンジをごっそりはめて色々と試したとのこと。
面白いことに「持ったような形」「持ったつもり」と実際に「持った」では全く状態が変わるということ。
以前(といってもだいぶ以前)、『卵殻の手の内』という表現をされていた頃があったが、
今回は本当に持つという点が大きく違うところか。

その昔走り幅跳びでは”石”を手に持って飛んでいいということになっていて、
どれくらいの石を持つとよく飛べるかという工夫もされていた。
とか、中国拳法の達人がボクシングをやるとガチガチに拳を固めたせいで(手の内が固定されたせいで)、普段通りの力が出せない。
などの話とともに手の内、指の状態が身体全体の状態と密接に関係していると説明があった。
この感覚の違いを感じられるようになると色々と自分で工夫出来るようになる。

最近、半身動作研究会でパントマイムで離陸を稽古したが、繋がっている気がしてならない。
持つと持たないとで大違いという説明からは、パントマイムではNGだと思ってしまいそうになるが、
持った形にするのと、持った状態を再現しようとするのでは大きく違うだろう。


■ウッチーさんの後輩である合気道のS本君と。
・一畳相撲
・正面押し
・競り合いのかわし
・合気道の型(名前知らないけど2つか3つ)
・対パンチ、対ナイフ

一畳相撲では腕力で来られたときにつられて力んでしまうとそこから崩されてしまうのに対して、
かまわず・力まず動けたときは力感無く相手が崩れていく。
比較的自由度の高いこの形で終始力まずに動くのはわかっていてもなかなか難しい。
S本君は力みまくっていたのでもっと力を抜いたほうがこちらはやりにくくなるというようなアドバイスをしたいのだけれど、
アドバイスをしたい私も力んでしまうので説得力にかける(笑)
そこで形を正面押しに変えてやってみたところ、
さすがにいつも稽古している形だけあってこちらは多少は説得力のある説明になったと思う。
S本君も何度も前へならへの素振りをぶらぶらとやった後で動くと力みのない動きが出てきていた。
本人曰くあまりにも普段の動きと違いすぎる。との事。
なかなか癖がぬけないようで苦労されていた。

S本くんの課題を聞きながら一緒に稽古していたら、面白くなってしまって気づいたら終了時間になっていた。
甲野先生の講座に来たのに私と稽古ばかりで申し訳なかったかなと思ったが、
ウッチーさんの話でも彼は喜んでいたらしいし、今回は勘弁していただこう。

彼に稽古を紹介しながら、自分がどのようにその稽古・動きを理解しているのかが、
その場で整理されていく場面が何度かあって終わった後はなんだかすっきりした感じだった。
しかしいくら整理出来たと言っても、あくまで”私が感じていることの紹介”であって、
”正しい動きの説明”ではないという点は強調する必要があると感じた。
彼がまじめそうなので特に感じたのかも。
次回は是非、甲野先生の技をもっと受けて欲しい。

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