必要なら得られるか?!

武術稽古にも通じると思われる、ちょっと不思議に思えるかも知れなくて、でも私にとっては実感をともなって存在するものの話。

必要は発明の母、火事場の馬鹿力、窮鼠猫を噛む、陸上の高地トレーニングなどに共通することとして、そのような環境におかれて必要に迫られればそれに適用しようとする力を発揮できるという言い方が出来る。

数年前か、娘が入院した時の私がそうだったように思えます(おかげさまで今は元気です。ご心配なく!)。
娘に原因不明の病が発覚したときは気を失いそうになったが、病院での治療方針はすぐに決まり、入院して治療していくのを待つばかりとなっていた。
後は病院の治療にお任せするしかないのだけれど、親としては何でも出来ることはやっておきたかった。 もう、何かしらやっておかないと心配すぎて頭がおかしくなりそうだったのだ。 原因がわからないままだったのがその思いを強くさせたのかも知れない。
そこで頭に浮かんだのが、甲野先生をきっかけに広がっていた武術繋がりで見聞きしていた東洋医学の世界だった。漠然とイメージしていたのは所謂『気』の治療を私にも出来ないだろうかという事。
それに病院の治療も信頼していたので、どこかの治療院に並行して通うというつもりもなく、自分で出来る範囲のことをやりたいという気持ちが強かったのだと思う。
この時、私は『気』の治療が出来る人になる必要性に迫られたというわけだ。

必要に迫られたとき、力を発揮できたか?!

甲野先生に相談して、あるやり方を教えていただけた(後にこれは西式健康法のやり方だとわかった。私の母方の祖父が熱心に取り組んでいた健康法でもある。甲野先生との雑談で少し話していたかも知れないが、私は後から手に入れた西式の本を読んでいて甲野先生に教わったやり方が載っていたので驚いた)。
その後、西式に詳しい武術稽古の先輩から素人がむやみにやると自分の気力を削ぐ結果になるので注意が必要という忠告を頂いた。効果がわからないこともあり、肉親にしかやっていなかったのは、結果的に正解だったようだ。

やり方を教わって少し経った頃、甲野先生から獣医師向け講座のアシスタントの依頼があり、二つ返事でお引き受けした。
そこに集まった獣医師の皆さんは東洋医学で治療をされる方々であった。
なんと言うご縁かと言えば聞こえが良いが、そこで図々しくも娘の写真を用いた遠隔治療をお願いして、私自身も治療を体験させてもらう機会に恵まれた。ここではっきりと『気』と説明されるものの存在をあらためて感じることが出来たのだ。

この日以降、獣医師の方にもらった感覚を鏡にして、甲野先生から教わったやり方で続けていた。
「稽古と同じですよ。」と甲野先生に言われていたので取り組みやすかった。

病院での治療も成功して、退院後の経過も良好。
私も入院してから経過が問題ないとわかるまで毎晩続けていた。
私がやったことが治癒にどれほど貢献したのかはわからないが、この事を思い出すと甲野先生はもちろん、これまで武術稽古を通じて出来た縁に感謝の気持ちが強くわいてくる。
当時はここまで稽古を続けてきたのはこの日の為だったのかと、なるべくしてなったという運命的なものを感じていたのだ。
私が甲野先生に会っていなかったらどうだったかなんてわからないし、考えても仕方がない。
娘が病気になった時に甲野先生に相談に乗って貰えて、
その縁は娘が生まれる前から繋がっていて、
相談した時には、武術稽古を通じてそれを受け入れられる準備が私にも出来ていた。
ということ。

上にも書いたが私がやったことでいわゆる『気』の治療効果があったのかどうかはわからない。しかし、縁があったお陰で私は父親としてやれる事をやれているという救われた気持ちでいられたのは確かなのである。
どうやら必要に迫られれば力を発揮出来るというものではなく、私としてはただただ縁に救われたと言って良いようだ。

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