成田新十郎先生

成田新十郎先生のお名前は武術事情に疎い私でも耳にしたことがあるものの、不勉強で恥ずかしい限りだが、YouTube上で映像を拝見したことがある程度の接点しかなかった。


それがこの度、Twitterで私をフォローしてくださった方が、成田新十郎先生の一般向け公開講座を主催すると知り、あらためて動画を見直して、この機会を逃してはならないと思い即座に申し込んだ。



実際にお会いした成田先生は、高度な技術をお持ちでいながら、大変謙虚な物言いと姿勢が印象的な人物だった。
成田先生の技は、とても柔らかく、受けるとヘンな感じがして気がつくと崩れている、その感触は『気持ちよい』と『なんか変』を同時に味わうようだった。



参加する前、私が動画を見た感想は、およそ次のようなものだった。
見た目からして柔らかく、無理のない動きをされている。
成田先生は、明らかに突出した質の動きをされていて、受けがあのように受けざるを得ない条件での稽古をされている。
この動きと稽古に強く関心を持たされた。
受けの方たちが見た目に派手に飛んでいるので、やらせだなんだという見方をする人がいるかも知れないが、私の興味はそこにはなかった。



たかだか一回参加しただけの私がなにかを掴めたのかと言われると、何も掴んでいないが何かに実際に触れたと言うしかない。
何がどうなってそうなるのかはわからないが、成田先生に触れてそこにあるものを体験できたことは、大きな経験になった。


技を体験した方が口々に『何か変です。少し困ります。』と言われていて、それに対して成田先生が『少し困るでしょう?それでいいじゃあ、ありませんか。』と言われていたのが印象的だった。


もちろん私が理解していないのをあらためて念のため断っておくが、動きの根本的な原理は『腰の回り』と呼ばれるハタラキに基づいていて、セミナーでは原理に近づくための体捌きの練習を体験した。
私はここでも成田先生に半身の姿勢を直接ご指導いただき、たいへん勉強になった。
わたしの姿勢を直す際にも「ちょっと失礼。」と声をかけられて、手取り足取り御指導いただいた。



たいへん貴重な経験になった。
さて、私の問題はここからだ。
思想からして今までの稽古とは大きく異なる。
柔道の試合に応用しよう、などとおもいながら練習すればするほど、成田先生の教えからは遠ざかってしまうことは、私にも理解できた。
今すぐにできることは感触を大事にしながら過ごすことくらい。



技を受けた感想も一応書いておこう。
一応と書いたのは、書いても伝わらないからだ。成田先生の技を受けずに想像するのは難しいだろう。
実際に受けた人たちが『なんか変です。』と言っているのだから、受けずに判断する困難さは想像できるだろう。


私が受けた印象はおそらく技の一面でしかない。
なぜなら、私の能力を超えた部分は私にはわからないからだ。それを踏まえて読んでもらいたい(これは私がかいているブログ記事の全てに当てはまる留意点だ)。



私が手刀を打ち込む。
そのとき、打ち込もうとした位置から先生が少しずれていてこちらが戸惑う。戸惑っていると先生が動いていて、大きく崩されていく。
別のケースもある。同じく手刀を打ち込もうとしたら、先生が少し近づいていて、打てずに戸惑う。戸惑っていると先生がまた少し動いていて、大きく崩されていく。


成田先生が技をかけて私を崩しているのか、私が勝手に崩れているのか。
実際はわからないが、後者ではないだろうか?!
すくなくとも受け手にはそう伝わる技を掛けられている。


そうであるから、触れずに崩されたり、投げ飛ばされたりという事も結果として起きるのだ。


また機会があれば、突き抜けた技に触れさせていただきたい。

※この日は、ある武術関係の月刊誌の取材が来ていました。
 ライターのかたがどのように感じたのか、記事が楽しみです。


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