森田真生著『数学する身体』

急速に手裏剣との一体感が増してきたのはなぜか。
身体の準備ができていたのは前提にあるにしても、きっかけはちょうど稽古前に読み終えた森田真生著『数学する身体』の影響だと思われる。



この本は、数学が発展してきた歴史と現在を、著者の身体感覚を通した言葉で語った本だ。

この事は著書の中にもミラーニューロンの説明で書かれているが、身体感覚は空間を超えて伝播する性質がある。
武術稽古をしていても身近に感じられる感覚だが、この本を読んでいると、著者の身体感覚が文字を通じて伝播してくるのを感じる。


書かれている内容に身体レベルで共感すると言ってもこれだけではピンとこないかもしれない。
具体的に言うと、アルゴリズムが考案されてから代数による一般化の話を読んでいるときは、私が『空気投げ』の解明に見た目を順に真似るやり方から投げる直前の形から成立条件を逆にたどって1つの正解にたどり着くというアルゴリズム考えた点、やり方が理解できると同じ原理で様々な技を説明できるようになり『空気投げ』に技の根本原理を見いだした点などが挙げられる。
これだけでは単に共感しただけだが、ちょうどチューリングについて書かれている辺りから機械が心を持つのかといった話題に触れられている場面を読み進めながら、同時に手裏剣を思い浮かべていた。


ここから本の中の数学は、さらに奥へ入っていくのだが、私がはっきりと感じられたのはここまでだった。

私が感じられるのは身体の準備が出来ている範囲だけだ。そのすべてが完全に伝わるわけではない。
伝播していないのではなく、感じられない部分があるということだ。
この先、芭蕉の『 光いまだ消えざるうちにいいとむ』や、岡潔の『数学は情緒である』といった言葉に対しても、伝播の影響が認識できる日が来るかもしれない。

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