松聲館の技法レポート『脱力記念』

わたしの仕事のせいで、ギリギリまで開催出来るかどうかわからなかった甲野先生のメルマガ動画撮影が無事終了した。

先日の恵比寿で起きた変化もあり、月に二回発行しているメルマガ動画でも先生の技の変化を追うことが難しくなっていた(七月前半に撮った映像はお蔵入りである)。

この日は最新の術理である『何気無く動く』を撮影する予定だったが、思いもよらない展開になった。

甲野先生のリクエストで、わたしが甲野先生に腕を掴まれたまま動く稽古をやったところ、わたしの脱力のレベルが一段階上がっていた。
掴まれた腕が全くと言って良いほど気にならないのだ。
それを受けた甲野先生が、


「あぁ、そうか。」

と言って交代すると、今度は甲野先生の脱力レベルがとんでもないことになってしまった。
先生が動くとこちらの腰が砕けてしまって腕を掴んだまま離せず、崩されてしまう。


どうやら先生はやられる感覚からやる感覚を得ようとして、わたしにリクエストしたようだった。
それにしてもわたしが思ったよりも動けたのが甲野先生にとっても興味深かったようで、そのあと何度も腕を掴んでいただいた。


「わざとやられているわけではないですよ。」
「ほら。あなたの前腕が柔らかいまま、全く力んでいない。」


こう言いながら先生は嬉しそうにやられていた。
この日は、わたしにとって記念すべき日になった。



「お互いやってみましょう。」

わたしも、掴む側の先生も脱力したまま動くと、わたしが動いた分がきれいにこちらに跳ね返されてころころと転がされた。
これは相対的にわたしが力んでいるということだろう。
こちらが脱力しているとやられているときの感覚がより鮮明になる。
どこがひっかかって、どこが固定されて脱力の隙が出来て崩されているのか把握できているのだ。
面白い感覚だった。



話はこの日前半の稽古に戻る。
先生の『何気無く動く』技を受けていて、いつもは何かしら出てくる、技を受けた感想が言葉になって出てこなかった。
感覚があるにはあるのだが、それを表現するのが難しく感じられた。


「受けた感覚を表現するのが難しいです。」

こう素直に話したのだが、先生はわたしとは別の受け取りかたをされていたようだった。

(これは感覚を掴みつつあるようだ。)

後で聞くとこのように思われていたらしい。
それでわたしにリクエストして、受ける側でその感覚を確かめようとされたのだ。
それが思っていた以上にわたしの動きがスムーズだったので驚いたというわけだ。


ところがわたしの方はと言うと、このかなりしっかりと腕を掴まれた状態で動けることを、出来るのが当たり前というか、ずっと前から出来たのではないかと思える感覚でいた。
相手に何かしようとか、これで出来た、という感じがしないまま動けているせいだろうか。


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