松聲館の技法レポート『水面走り再び』

甲野先生のメルマガ動画撮影のため松聲館へ行ってきた。

前回、わたしが『人間鞠』で弾んで歩いて過ごしていたのを甲野先生の技を止める動きに応用して、先生に驚かれて以来、20日間ぶりの稽古だった。
前回は先生が『人間鞠』に『抜刀の体』『石火崩し』を合わせたものと、イメージを使って相手を気にしないで突然動く『トカゲ走り』によって、最後はこちらが大きく崩されていた。

20日間、先生の技に対して特別な対策を取っていたわけではないが、再び『人間鞠』の体で受ければ前回の技は止められそうな気がしていた。
ただ、これは毎回そう思って受けていて、毎回そううまくはいかないので、あてにならない感覚でもある。


この日は剣術から
お互い正眼に構えて剣道の試合でも見る剣先が触れるかどうかの間合いで向き合う。先生が動こうとするのを察知して上下に抜くか、横に払うかして対応する。
これがどうしても間に合わない。抜いてかわしたはずの剣が間髪いれずに戻ってくる。
払えるはずの先生の竹刀が重くて払えない。
見た目にはほとんどわからないくらいの『水面走り』をされているという。その結果浮きがかかり、通常では出来ない変化が可能になるそうだ。


『太刀奪り』
真横から剣を先生の上腕辺りを狙って振る。
ソフト剣なので当たっても痛くない分、振るほうにとっては、ゆっくり当てる加減がいらなくなる。
先生が目の前に立ち、動こうとしたらわたしが剣を振る。
普通に動かれたら難なく剣を当てられるが、『水面走り』にもる浮きがかかっていると、こちらの剣が間に合わずにとられてしまう。
これには驚くしかない。


『払えない突き』を払う
『払えない突き』は先生が出してくる手を払う。それだけの単純な稽古だ。
払えそうに思えるのに払えない。時には両手を使わせてもらうが、やはり払えない。
払えないどころか、こちらが構造的に丈夫であればあるほど、触れた途端に後方へ跳ね飛ばされたり、払おうとした手が存在しないかのように胸の辺りを押されてしまう。
かといって抵抗しないで立っていれば容易に突きを許してしまう。それならばと、払わずにいなそうとしてもいなせない。
文字通り『払えない突き』なのだ。ちなみに今まで『払えない突き』をまともに止めた記憶はない。

それが今回は違った。

前回と同じく『人間鞠』が発動する弾む体で構える。前回と違うのは、自分のなかで弾む体が馴染んできている点だった。
より脱力して構えていられる。
先生の手が伸びて、私の手のひらに触れる。
触れた瞬間、先生からの力がわたしの手のひらから体を通して足裏に伝わり、足裏で重さを感じるや、体が弾み今度はその力がわたしの手のひらから先生に伝わる。
すると先生の突きが止まるではないか。
何度か受けるがやはり止まる。
「これは体当たりしてきていますね。」
これが甲野先生の感想だった。

柔道的に組み合ったところから、内腕による動きで崩されていた形でも入らせない。
前回はこれが止められなかった。


『浪之下』が気になる
『浪之下』を弾む体で受けると、先生が「どうしても持たれていることが気になってしまう。」と言う。
技として動くためには気にしないでいる必要があるが、それがしにくくなるそうだ。


『座り正面の対応』でも前回以上に崩されなくなっていて、自分でも別人が対応しているかのように思えた。
先生は重心の偏りが起こる事が止められてしまう原因だが、座りでそれを維持するのが難しいと話されていた。


前回は『とかげ走り』で結局崩されたが、今回はそれも止めて、剣術を除けば完封の勢いかとも思ったが途中、『水面走り』による『太刀奪り』をされたあと、先生の動きがわからなくなってしまった。
柔道の組んだところからも理想的な『空気投げ』のように投げられてしまう、ついさっきまで止めていた『浪之下』も『斬り落し』も『小手返し』も止まらない。
唯一抵抗し続けられた『座り正面の対応』でも、帰り際にわたしが以前やった前後の重心移動を自分の足に寄りかからないで相手に伝える工夫を先生に紹介したところ、吹っ飛ばされるようになってしまった。


毎回衝撃を受けてばかりだが、たまに思い出してあらためて衝撃を受けるのが甲野先生の年齢だ。
70歳まで2年を切っている。
先生が50代の頃、何かの取材で30代の自分を振り返って当時の未熟さを思い返した事があったというが、70歳でもう一度振り返ったらどのように思われるのだろうか?
「今が一番動く。」と言う先生の技がどこまでいくのか、引き続き追っていきたい。


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